**** 眠り姫の夢 ****  01  ――― その夢は誰の見た夢?


*夢

 静かに澄んだ、冷たい夜明けの中で、少女と少年は出会った。
 朝日に染まったその顔は、うりふたつ。
 少年は、王子で少女は孤児だった。年の頃は十になったばかりか、まだ幼く、二人に差らしい差はなかった。
 二人はただお互いを見ていた。
 そして。

 そして・・・?



○少年の夢

 部屋の外からくるざわめきに、少年は目を覚ました。
「・・・どうしたことでしょう・・・」
「・・・隣国一の、あの大国が・・・」
「・・・とうとう裏切りが起こったそうな・・・」
 かろうじて、一部聞き取れるくらいの話し声。
 少年にとって、それらは何の意味も持たないものだった。
 ここのところ、こんな風に夜、目が覚めてしまうことが多くなった。
 そんな時は決まって頭が冴える。
 退屈のあまり、母に会いに行ったこともあるが、その時は酷く怒られて、それから夜、部屋から出ることは禁止されてしまった。
 何故か、その時、母の部屋に居た見たことのある兵士らしき青年が、少年を見て慌てて隠れたのを覚えている。
 あまりにも慌てふためいて、それがおかしくて、笑ってしまったのだ。
 ・・・退屈だ。眠れない。
 少年は、ふと先日読んだ物語を思い出した。
 確か、真夜中にお城を抜け出して不思議な世界へ冒険に行くという、とても面白かったものだ。
「・・・そうだ」
 いいことを思いついた。
 考えるだけでわくわくする。
 少年は弾む気持ちを抑えてそっとベッドから降りた。
 そして、そのままそっと窓を開けて・・・?



○少女の夢

 初夏を感じさせる湿った生温い風にまとわり付かれて眠れない。
 だが、疲れた体は素直に疲れを癒そうとして動かない。
 じんわりと滲んでくる汗が、気持ちの悪い風に冷されて、より一層の不快感を与える。
 暗闇の中、目を開けているのか、閉じているのかさえ分からなくなる。
 少女は眠ったように動かない。
「・・・」
 夢か幻か。
 少女は幻想の中にいた。色とりどりの世界に一人立っている。
 ぼやけた森が恐ろしげに揺れている。華やかな蝶達が、鳥と共に飛び回っている。
 世界は幸福で満ちていた。
 天から差す太陽の光が、いつしか一筋の光源となり、少女の元に落ちてくる。
 射すような、射抜くような光はだが、懐かしさと優しさを多分に含んでいて、胸に迫るような感情を薄赤い光と共に呼び起こした。
 少女は両手を合わせて、その光をそっと受け取った。



○王子の夢

 この頃、毎朝自然と目が覚めるようになった。
 周りの大人達は、落ち着きなく行き来している。いつも何か焦っていて、心配している。
 そして、王子の方を見ては、小声で囁き合いながら、素早く立ち去る。
 この日、王子は王妃に呼ばれた。
 普段はない母親からの呼び出しに、大人達の不安が嫌な事を想像させて、王子は行きたくないと思った。
 それでも王子は王妃に逆らえない・・・。
 勝手に開けてはならないと言われた大きく美しい扉。
 王子は静かにノックした。
「母上、私です。失礼いたします」
 部屋に入ると、王妃はすぐさま駆け寄ってきた。
 普段は動く事すら滅多にないのに。
「よく来てくれました。待っていましたよ」
 王妃はそう言って、王子の手を握り締めた。
 二人して向かい合うように座る。
 後ろにはそれぞれの従者と召使いたちが佇む。
「もう、知っているかもしれませんが、昨夜、隣国で内乱が起こりました・・・」
 王妃は物憂げに話し始めた。
「民衆が、王家に反旗を翻したのです・・・」
「・・・」
 近頃の王城内の不安な囁きはこれか。
 王子は現実感のない恐ろしい話を真剣な顔を作って聞き入る。
「そして、それに煽られて、我が国でも、反乱が起こり得る状態になってしまいました。
 しかし、我が国は平和を主張する、長年争いの無い素晴らしい国です。
 その為、城には充分な武力がありません。
 反乱が本格的になったら、私達王族は一人残らず処刑されてしまうことでしょう・・・。
 ですが、幼いあなたには生きる資格があります。
 あなたには、近くの強国に、使者として向かってもらいたいのです」
 王妃はまだ幼さの残る息子の肩に手を置き、凛として言った。
「場合によっては二度と戻って来れないかもしれません・・・。
 しかし、今ここで我が王家の血を絶やしてしまうよりも、例えその血が薄まろうとも、それを守り続けていくことが私達の務め。
 一国の王子であるあなたの立場はきっと保障してもらえるはずです。
 幼いあなたに重大なことを託すことになってしまって、本当にすまないと思っているのです。
 ・・・行ってくれますね?」
「母上・・・」
「あなたならきっとやり遂げられるでしょう。
 王家の為に、辛いでしょうが、あなたにしか託せないのです・・・」
「・・・はい」
「おお、感謝します・・・我が希望の子よ・・・!!」
 感極まった王妃が抱きついて来る。
 普段触れない母の肌は見知らぬ他人よりも遠く思えた。
 温もりが違和感を呼ぶ。
 不自然で不審だとしか感じられない。
「はい、母上・・・」
 この時、王子の胸には何もなかった。
 ただ、漠然とこの国を離れることと、戦の気配、血の匂いを硝子越しに感じていただけだった。
 どこもかしこも細い糸が張り巡らされたように、自由に見えるが、意思を制限されているようだった。
 王子が答える言葉は決まっていたし、王妃の行動も寸分違わず同じ状況になれば繰り返される類のものだったに違いない。



○孤児の夢

 朝起きて、夜眠るまで、自由は腐るほどあった。
 後は、空腹と暑さをどうにかし、退屈と共に明日の事でも考えながら、ひもじさと戦うだけで、一日は過ぎていく。
 何もない毎日。
 自由はある。
 でも、束縛のない自由に、意味などあるのだろうか。
 自由とは、適度な束縛があるからこそ、素晴らしく感じられるものではないのだろうか。
 訳もなく、意味のないことばかり考えている。
 もはや、死ぬのを待つだけの人生。
 それどころか、すでに生きながらにして、常に死にかけているのと同じ。
 腐った匂いのする溝の傍で、傍から見たら、きっと死体に見えるだろう格好で蹲っている。
 そんな自分を可笑しく感じる。
 この辺りじゃ、死体なんて、飢え死にした孤児の死体だなんて、ちっとも珍しくない。
 もし、誰か見つけても、面倒事には関わりたくないと、見ない振りして去っていくだけだろうに。
 一体、何をやっているのだろうか・・・。 
 もう、嫌だ。
 どれほど、そう思っていただろう。毎日、飽きもせずにそんな事ばかり考えていた。 
 どうして、私は不幸せなんだろう。
 どうして、親がいないんだろう?
 どうして、いつもひもじいのだろう・・・?
 私が、何かした?
 悪いことでも、良いことでも、私が、何かをしたって言うの?
 私は、何もしてない。
 誉められる事も、否定される事も、何ひとつとして・・・してはいないのに・・・。
「おなか、すいたな・・・」
 どこへ行こうか。 
 行く場所なんてない。決まっていない。
 そんなのは、いつもその日限りの気の向くままに。
 そして、今日も歩き出した。



○出会い

 今日は、国を秘密裏に出て行く日だ。
 いつも、部屋の中に囚われていた。
 まるで、ここが、お前の世界の全てだと言われているみたいに・・・。
「さあ、お行きなさい・・・。あなたの道中が無事であるように祈っています。
 無事に隣国まで辿り着ければ、きっと保護してもらえます。
 書簡は持ちましたね? 王家の証も・・・」
 王子は荘厳な筒と、マントの下の紋章を確認した。
「はい、持ちました」
「そう・・・では、お気をつけて・・・」
 王妃は、自分の息子に優しく接吻した。
 魔よけと親愛の情を込めて。
「・・・はい。行いって参ります、母上・・・。どうか、御心をしっかりお持ちになって下さい」
 それを凛としたまま受け、王子はひどく冷めた自分を隠して言った。
「ええ、ええ。あなたもくれぐれも気をつけて・・・。
 ・・・そうでした。いくら近くの国に向かうといっても、危険はあるでしょう。
 屈強な兵士を何人も連れては目立ってしまう。しかし、あなた一人で行かせるわけにはいかない・・・。
 だから、この者を連れて行きなさい。従者として、きっと役に立つでしょう」
 王妃は、いつか、彼女の部屋で見たあどけなさの残る若い青年を指した。
 青年は進み出て一礼した。
「はい、わかりました。・・・母上、お心使い、感謝いたします」
「いいのです・・・。これくらいは、させてください・・・。
 本当にすまないと思っているのです。何も知らない、何の罪もない、あなたをこんなことに巻き込んで・・・」
 王妃は涙を含む声で、震えるように言った。
「母上。気にしないで下さい。私は、王子です。それくらいのことは、心得ているつもりです。
 ですから、母上。あなたが、気にすることなど、何もありません」
「ああ・・・。アドル・・・っ!! あなたは、私に・・・、この母に・・・っ!!」
 アドルは、王妃の手を静かに離した。
 普段接していない分、感情的になった母親の扱いなど皆目わからなかった。
 早くこの場から開放されたかった。
 一刻も早く。
 ただ、この母親という女である王妃が、ただ鬱陶しい生き物に思えた。
 いつもは、放って置く癖に。
 こんな時にだけ、母親面して。
 大嫌いだ。
 どうせ、自分よりも、あの青年の方が心配なくせに・・・!
 自分の身など、どうでもいい癖に!
 安全な隣国に旅立つ王子と同行させれば、あの青年も安全な隣国で生き延びられるだろう。
 本当は人に言えないような関係だろうに、王子の従者などと、都合良く連れて行かせるつもりで・・・!!
 アドルは全て知った上で、嫡子らしく、物分りのいい振りをして、王妃の話を早々に遮った。
「母上、すみません、もうそろそろ出発の時刻です」
 後を振り返らずにその場を去った。
 一国も早く、この国から出なければならない。
 これ以上、王妃の相手をしていては、こちらの身が持たない!
 沸き上がる怒りに身を任せて、アドルはそのまま足早に厩を向かった。
 アドルの後を小走りについて来たあの青年は、嫌味のない笑みを浮かべて、ペンシスと名乗った。
 本当にどこにでもいそう、純朴な青年だった。
 アドルは王族であるという根拠のないプライドで、ペンシスと握手をすると、無言で馬に飛び乗った。




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